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バリ島の中心地、バドゥン県の見所についての概要をご紹介したいと思います。

インドネシア・バリ州は8県と1自治市(首都であるデンパサール市)の9つの 行政区域からなり、バドゥン県は島の南部から中都にかけて位置しております。 県の南部はインド洋に面した海岸に縁取られた石灰岩質の丘陵地帯、中部は水田の広がる平地、北部は海抜平均1000メートルの高地です。

バドゥン県南部の海岸線は数十キロメートルにも及び、その大部分が白砂のビーチと 透明な水をたたえ、海水浴、サーフィン、その他のウォータースポーツに適しており、 クタ、ヌサ・ドゥア、ジンバラン、トゥバン、レギャン、タンジュン・ブノアなどの 海岸地域は世界的に有名なビーチリゾートエリアとなっています。

また、バドゥン県は、芸術、文化遺産や豊かな自然の宝庫でもあります。

インド洋を望む断崖絶壁の上の古寺ルフール・ウルワトゥ、王家の寺タマン・アユン、神聖なるサルの森サンゲエの中の寺院プチャック・マングとプチャック・サリ、木彫工芸の中心地であるアガンタカ地区のスダン村、ヌンヌンの滝、ライステラス、その他にも一見に値する名所が数多くあります。

〜バドゥン県のあらまし<歴史的背景>〜 バドゥン地方は、グスティ・ングラ・マデ・ブムチュタンが18世紀末に行政地区として 制定する以前の時代には、ナンバンガンという名で呼ばれていました。

彼は不思議な力のある刀(クリス)と鞭に助けられ1810年にメングゥイとジュンブラナを征服しました。二人の王、が彼の後を継ぎますが、彼の死はおそらく彼の兄弟であるクシマン王に企てられてたもののようです。

クシマン王は1829年から1863年の重要な時期を統治しました。彼はバリ島以外の世界に傾倒する様子を見せ、それがオランダに希望を抱かせる原因となりました。オランダは1826年に停泊所を設置することを許され、そこからの収穫物から分配される素晴らしい賜物がお返しとして献上されました。

また、クタは1557年にコルネリス・デ・ハウトマン船長とその乗客員がキャンプを設置した場所でもあります。そのとき2万人のバリ人軍はマタラム王朝のイスラム教徒がブランバンガンを侵略しようとするのを防ぎに行く途中でした。 1904年にオランダの旗を掲げた中国船スリ・コマラ号がサヌール沖に座礁しました。 オランダは地元の人々が難破船から物資を奪ったと主張し、王に対し全損失と被害のため3千万ドルの銀貨の支払いを求め、また犯人達を罰するよう要求しました。

王が賠償の支払いを拒んだため、1906年9月20日に大6次軍派遣という事態に及びます。 オランダ軍は、白い装束をまとい“ププタン”で死を覚悟した群集に出迎えられます。 王に命じられ、僧侶、将軍、王族一同、男も女も宝石と戦士にいでたちで身を飾り、戦場 に向かっていきました。彼らの宗教によると、戦士の究極の目標は、戦死により魂が天国に送られるのであります。


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